世界美術館巡り旅

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カテゴリ:世界の美術館 > ポーランドの美術館

 2017年6月に、クラクフ(ポーランド)を観光しました。「白貂を抱く貴婦人(レオナルド・ダ・ヴィンチ作)」を見ようとヴァヴェル城に行ったところ、クラクフ国立博物館本館で展示されていると言われました。徒歩15分程でクラクフ旧市街の西端に出て、トラムの走る通り(ユジェファ・ピウスツキエゴ通り?)を更に5分程西に歩くとクラクフ国立博物館本館が見えてきました。
 玄関を入ると切符売り場窓口があり、「ダ・ヴィンチの絵(Painting)」と言うと切符を夫婦用に2枚くれました。無料だとの事でした。本館全体の切符は有料ですが、ダ・ヴィンチの作品だけの切符は無料のようでした。
 早速「白貂を抱く貴婦人」の展示室に行きました。部屋は非常に暗く、作品に暗めのスポット・ライトが当たっていました。空いていたので近寄って斜めから良く見たところ予想以上に平坦で、絵の具の凹凸はほとんど見られませんでした。かなり短期間で、サラッと描かれたようでした。
白貂を抱く貴婦人(レオナルド・ダ・ヴィンチ作)
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 暗闇に学芸員と警備員が居たので「写真を撮って良いか?」と聞いてみたところ、「ダメ。部屋の外のコピーを撮れ。」との回答でした。部屋の外には作品のコピーが準備されていました。その前で、記念写真を撮りました。
白貂を抱く貴婦人の(実物より大きい)コピーの前で記念写真
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このコピーは実物の一回りも二回りも大きく拡大されていました。コピーの横には説明用(動画)のモニター・パネルもありました。
白貂を抱く貴婦人 説明パネル
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 貰った切符で他の展示室に入ろうとしてみましたが、入口で切符を見られて「ダメ。」と言われました。ポーランド人画家の作品しか展示されていないと思い、切符を買ってまでは、鑑賞しませんでした。土産物屋を見てから、退館しました。
土産物店の様子
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 レノナルド・ダ・ヴィンチは1452年に(イタリア)トスカーナ地方のヴィンチ郊外で生まれました。父はフィレンツェで公証人をしていて、母は(恐らく)農夫の娘のカテリーナでした。暫く母に育てられましたが、1457年(5歳)から母と離れて、父・祖父母・叔父とヴィンチ都市部に住むようになりました。年長の庶子の扱いで複数の継母(正妻)に育てられ、家を継ぐことはありませんでした。
 1466年(14歳)から1476年(24歳)まで、ヴェロッキオに弟子入りしました。遅くとも1472年(20歳)までには、フィレンツェの聖ルカ組合でマスター(親方)の資格を認められました。マスターになってからも、ヴェロッキオの手助けはしばらく続けたようです。その後注文された宗教画/肖像画を描きました。1498年に有名な壁画の「最後の晩餐」を完成させました。
 この作品は貴族がイタリアを旅行した際同行した愛妾の肖像画を描いてもらったと思います。かなり高額な対価で短期間に描いたと思われます。

 2017年6月にワルシャワへ行き、ワルシャワ国立博物館(美術館)を訪問しました。今回はテォドール・ロンバウツ作「カード・プレイヤー」を紹介します。
 テォドール・ロンバウツ(1597~1637年)はカラヴァジストのフランドル画家です。アントウェペンで仕立て屋主人の息子に生まれました。何人かの画家に師事した後1616~25年の間イタリアを旅行して、カラヴァジストに出会いました。1625年にアントウェルペンに戻り、聖ルカ組合に親方として入会しました。1628~30年の間、聖ルカ組合の執事をしました。宗教画と風俗画を多く描きました。リュート弾きやカード遊びの光景は、多く描いたようです。横長の画面に複数人の人物を描き込むのが得意な画風のようです。風俗画も比較的教育的や平和的な場面が多そうです。
 この絵もリュート弾きとカード遊びをする人たちと夫々の関係者のようです。イカサマやインチキを描いているようには見えません。当時の風俗を知る上に有効な作品が多く描かれたようです。 
カード・プレイヤー(テオドール・ロンバウツ、1635年作)

聖ペテロの否定(テオドール・ロンバウツ、1625~30年作、リヒテンシュタイン美術館蔵)

インチキ歯医者(テオドール・ロンバウツ、1620~25年作、プラド美術館蔵)

     

 2017年6月にワルシャワへ行き、ワルシャワ国立博物館(美術館)を訪問しました。今回はヤーコブ・ヨルダーンス作「天使と聖人に囲まれる聖母子」を紹介します。
 ヤーコブ・ヨルダーンス(1593~1678年)はアントウェルペンの裕福な家庭に生まれました。アントウェルペンでアダム・ファン・ノールドに師事して、自立後早々にその娘(長姉)と結婚しました。師匠から将来を嘱望されたエリート画家でした。ルーベンスとも数年間兄弟弟子の関係だったようです。ヨルダーンスには各国の王様・貴族・金持ちから依頼が来て、たいそう忙しかったようです。現存する作品の大部分は宗教画・歴史画です。肖像画や風俗画も描いたようです。風俗画は、「大人が歌えば子供が笛を吹く(大人は子供の手本となれ)」、「王様の祭り(長老を大事にしろ)」など教育的・道徳的な作品が多そうです。エリート画家らしい作品です。
 「天使と聖人に囲まれる聖母子」はインターネットで調べても、ワルシャワ国立美術館関連の記事にしか出て来ません。旧ソ連圏美術館所蔵なので情報が少なかったのかもしれません。画風からはヨルダーンスの作品だと思われますが、極端に横長なのと人物が余りのも生々しく(人間ポッイというか俗人ポイと言うか)、特殊な絵です。キリストは青い服と髪飾りをつけています。多くの絵では洗礼者ヨハネは裸で、この絵でも羊の上に乗せられています。右の聖人の衣装の描き込みが尋常ではなく、この作品の主人公のように見えます。衣装から教皇ではなく、司教・司祭辺りかと思われます。
 ポーランドの守護聖人を調べると候補として、聖ヨハネ(ケンティ)司祭が上がりました。1390年にポーランドのケンティで生まれ、1413年クラクフ大学(現ヤギェウォ大学)入学しました。8年ほどテンプル騎士団で教鞭を取ったのち、クラクフ大学に戻りました。神学や哲学の教授を長く勤め、高い学位を望む学生はヨハネ(ケンティ)の残した服に祈ったと伝わります。ポーランドの守護聖人の一人です。クラクフ大学関係者か成功した学生の子孫がヨルダーンスに依頼したかと思われます。その後ポーランドから外部流出しなかったのでしょう。極端に横長なのは飾る場所(壁)を決めてから依頼した特注品だからかと思われます。
天使と聖人に囲まれる聖母子(ヤーコブ・ヨルダーンス作)
                 

 2017年6月にワルシャワへ行き、ワルシャワ国立博物館(美術館)を訪問しました。今回はユゼフ・メホフェル作「不思議な庭園」を紹介します。所蔵・展示されている「五月の太陽」と「三人の天使」も紹介します。
 ユゼフ・メホフェル(1869~1946年)はポーランド南部で弁護士の息子に生まれました。クラクフ美術学校→ウィーン美術アカデミー→パリでアカデミー・コラロッシで学びました。絵画だけでなく、ステンドグラスのデザイン、リトグラフ、舞台設計、グラフィック・デザインなども手掛け、総合芸術家と言うべきかもしれません。作品を俯瞰してみると、世紀末芸術のアール・デコそのものです。
 「不思議な庭園」も不思議な絵です。上部に平面的(デザイン的)なトンボが描かれています。アール・デコの極致です。右下の花を掲げた幼子は金色に見えます。この絵はアール・デコですが、シュールレアリスムも感じさせる不思議な絵です。色に拘った画家だったようです。
不思議な庭園(ユゼフ・メホフェル、1903年作)

五月の太陽(ユゼフ・メホフェル、1903年作)

三人の天使(ユゼフ・メホフェル、1901年作)

人の世ははかなき夢(ユゼフ・メホフェル、1895年作、クラクフ国立美術館蔵)

婦人の肖像(ユゼフ・メホフェル、1904年作、クラクフ国立美術館蔵)
                

 2017年6月にワルシャワへ行き、ワルシャワ国立博物館(美術館)を訪問しました。今回はポーランドの国民的画家ヤン・マテイコ作「グルンヴァルトの戦い」を紹介します。
 ヤン・マテイコ(1838~1893年)は自由都市クラクフでチェコ人で家庭教師をしていた父の息子に生まれました。近眼のため学業が進まなかったが、芸術(絵画)だけはずば抜けた才能を示した。聖アンナ高校に入学したが成績悪く退学した。それでもヤギェウォ大学のクラクフ美術専門学校に入学しました。歴史上の事件を題材に絵を描いた。1859~60年にウィーン美術アカデミーで学びました。1865年にパリのサロンで金賞を受け、名声が高まりました。
 グルンヴァルトの戦いは、1410年ポーランド・リトアニア連合国(ヤギェウォ朝)がドイツ騎士団に勝利した戦いです。毎年7月に戦いを再現した祭りが開催されるようです。この絵は非常に大きくて、それに見合うような粗い描き方です。近くで見ると粗くて絵の上手さが分かりません。
 インターネットで調べると、「天文学者コペルニクス(ヤギェウォ大学卒業)」や「画家の子供たち」の絵が見つかりました。これらも紹介します。これらを見ると画家の高いデッサン力が分かります。アカデミー派画家に劣らないデッサン力の画家だったようです。
グルンヴァルトの戦い(ヤン・マテイコ作)
グルンヴァルトの戦い展示の様子(公式HPから)
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グルンヴァルトの戦い(ヤン・マテイコ作)の前で
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天文学者コペルニクス(ヤン・マテイコ、1873年作)

画家の子供たち(ヤン・マテイコ、1879年作)
         

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