2014年7月にノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪問しました。今回は、エドゥアール・マネ作「アトリエでの昼食」を紹介します。
 エドゥアール・マネ(1832~1883年)はパリの裕福な家庭に生まれ、父はエドゥアールを法律家にしたかったようです。エドゥアールは伯父の影響で絵画に興味を持ち、トマ・クチュールに師事し、1861年サロン・ド・パリ」で「スペインの歌手」が初めて入選しました。1859年サロンでは「アブサンを飲む男」を出品して、落選しました。1863年の落選展に「草上の昼食」に出品、1865年サロンに「オランピア」を出品して落選と散々な評価でした。傷心でスペインを旅行し、ベラスケスの作品に感動、1866年サロンに出品して落選しました。この「アトリエでの昼食」を1869年のサロンに出品して、入選しました。この後は印象派のリーダー格で活動しました。マネの死後徐々にマネの作品の評価が上がりました。落選した絵画を紹介します。
 「アトリエでの昼食」が描いているのは、1868年夏海辺の別荘兼アトリエの食堂での昼食の事件を描いているようです。中央の少年は画家妻の連れ子レオン(16歳)と思われます。左奥が画家の妻でこちら側(恐らく画家のマネ)を心配そうに見ています。右の髭の男性は無関心を装い、別の方向を向いています。レオンの服装はチャントしていて、大事に育てているようです。レオンは右手をズボンのポケットに入れ、テーブルに寄りかかています。視線はやや斜めで、不満そうな顔をしています。左前の背もたれ椅子には、ヘルメットや武具らしきものが描かれ、反抗的態度の象徴です。マネが小言を言った時のレオンの様子を描いたと思われます。反抗期に入った(連れ子の)レオンの様子を描いています。黄色とレモンで、酸っぱい思い出を暗示したのでしょうか。
アトリエでの昼食(エドゥアール・マネ、1868年作)
Edouard_Manet_昼食
アブサンを飲む男(エドゥアール・マネ作、1859年サロン落選)

草上の昼食(エドゥアール・マネ作、1863年サロン落選)

オランピア(エドゥアール・マネ作、1863年落選展出品)

 上の2作品は裸婦と昼食、娼婦らしき裸婦ということで大不評、下の作品は背景がなにも描かれていないということで落選でした。
笛を吹く少年(エドゥアール・マネ作、1866年サロン落選)