世界美術館巡り旅

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2023年06月

 2014年7月にウィーン美術史博物館を訪問しました。今回は、アンニーバレ・カラッチ作「ピエタ」を紹介します。
 アンニーバレ・カラッチ(1560~1609年)は1560年にボローニャで生まれました。カラッチ家は画家の家系で、兄のアゴスティーノ・カラッチも従妹のルドヴィーコ・カラッチも名の知れた画家でした。アンニーバレ・カラッチは主に宗教画を描きましたが、風俗画・肖像画も描きました。
 1585年にカラッチ一族はボローニャでアカデミア・デリ・インカミナ―ティ画学校を創設しました。グイド・レーニ、ドメニキーノ、グエルチーノ等の著名画家を輩出しました。1595年にローマに出て、1597年から製作開始したローマ ファルネーゼ宮殿天井画が代表作で、ドメニキーノとグエルチーノも動員して作成しました。中央の「バッカスとアトリアドネの勝利」を紹介します。この仕事の対価が予想以上に安く、鬱病になって以降絵を描かなくなったと伝わります。対価のトラブルは結構あったようで、宗教裁判や貴族による仲裁が普通でした。ローマに親交のある貴族が居なかったのでしょうか?
 アンニーバレ・カラッチは風俗画も描いたことで知られ、「豆を食う男」や「肉屋」などが知られています。「ピエタ」も複数描いた作品がありますが、この作品が一番悲しく凄惨に描かれています。
ピエタ(アンニーバレ・カラッチ、1603年作)
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豆を食う男(アンニーバレ・カラッチ、1584~85年作)
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肉屋(アンニーバレ・カラッチ、1580年代作)
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無原罪のお宿り(アンニーバレ・カラッチ、1601年作)
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バッカスとアトリアドネの勝利(アンニーバレ・カラッチ等、1597~1605年作)

ピエタ(アンニーバレ・カラッチ、1600年作)
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 2014年7月にウィーン美術史博物館を訪問しました。今回は、ディエゴ・ベラスケス作「青いドレスのマルガリータ王女」を紹介します。
 ディエゴ・ベラスケス(1599~1660年)はセビーリャで移民の息子に生まれました。11歳でフランシスコ・パチェーコに弟子入りしました。18歳で独立して、翌年師匠パチェーコの娘と結婚しました。1623年にフェリペ4世の肖像画を描いて気に入られ、宮廷画家に任命されました。やがて宮廷装飾責任者にも任命されました。
 マルガリータは幼くしてハプスブルグ家に嫁入りすることが成約しました。マルガリータが無事育っていることを紹介するため、ベラスケスが肖像画を描いてウィーンのハプスブルグ家に届けられました。本作はその一枚です。ベラスケスは肖像画を盛る(実物より美しく描く)事はしなかったようです。
 「ラス・メニ―ナス」はベラスケスがマルガリータの肖像を制作している様子を描いています。フェリペ4世夫妻の視線で描かれています。正面の小さな鏡に夫妻も描かれています。ベラスケスの描いている絵が見えない位置に夫妻は立っています。「マルガリータ王女の肖像画にはフェリペ4世夫妻は口出ししていない。」と主張している絵です。ハプスブルグ家の使者が訪れたときに、この絵を見せたようです。マルガリータ王女を描いた作品を一覧して見ると、ベラスケスが写実的に描いたと強く感じます。
青いドレスのマルガリータ王女(ベラスケス、1659年頃作)

幼いマルガリータ王女(ベラスケス、1654年作、ウィーン美術史博物館蔵)
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幼いマルガリータ王女(ベラスケス、1654~55年作、ルーヴル美術館蔵)
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ラス・メニ―ナス(ベラスケス、1656~57年作、プラド美術館蔵)

幼いマルガリータ(ベラスケス、1660年作、プラド美術館蔵)
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 2014年7月にウィーン美術史博物館を訪問しました。今回はヴェロネーゼ作「ユディト」を紹介します。
 パオロ・ヴェロネーゼ(1518~1594年)はヴェローナで石工の息子に生まれました。地元の画家アントニオ・バディーレに弟子入りしました。1553年にヴェネツィアに移住して活動しました。油絵としては歴代1位、2位を争う大作「カナの婚礼」や「レヴィ家の饗宴」を描きました。これだけの対策を依頼されるような大画家でした。  
 「ユディト」は様々な画家に描かれてきました。その間でもこの作品のユディトは一番の美人で可憐です。こんな可憐な女性がホロフェルネスの首を斬れるとは思えませんが、美しい絵画として楽しむのが良いかと思います。他の作家のユディトもいくつか紹介します。
ユディット(ヴェロネーゼ作)
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カナの婚礼(ヴェロネーゼ、1563年作、ルーヴル美術館蔵)

レヴィ家の饗宴(ヴェロネーゼ、1573年作、ヴェネツィア・アッカデミア美術館蔵)

ホロフェルネスのテントを去るユディト(ボッティチェリ作)
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ユディトとホロフェルネス(伝ジョルジョーネ作)

ホロフェルネスの首を斬るユディト(カラヴァッジョ作)

ユディト(ルーカス・クラナッハ、1530年作)

ユディト(グスタフ・クリムト、1901年作)
           

 2014年7月にウィーン美術史博物館を訪問しました。今回はティントレット作「スザンナと長老たち」を紹介します。
 ティントレット(1518~1594年)はヴェネツィアで染物屋の息子に生まれました。ティッツアーノに師事しましたが熟達承認書を貰い、二十歳頃には独立したようです。1548年にサン・ロッコ同信組合から「聖マルコによる奴隷の解放」の製作依頼を受け、以後公的な仕事の依頼が増えました。研究心の高い画家のようで、特に二点消失遠近法の独特な作品を残しました。
 スザンナを画題とした作品が4枚ほど残っていますが、構図や描き込みの巧みさからこの作品が一番出来が良いと感じます。他の作品も超有名美術館に所蔵されていますが、同じ画家とは思えないぐらい本作品の迫力が勝っています。
 この作品が一番出来が良いと感じる理由を整理してみました。
① 一点消失遠近法が強調される場面設定と長老の一人を奥に配置したことで、奥行き感が
  抜群です。他の画家の作品とも一線を画している。斬新です。
② 塀を描いたことで、長老がしたことは子供の悪戯というよりは犯罪だということを強調
  している。不法侵入と覗き見で有罪です。ここまで長老を追求した作品は少ない。
  非常に斬新です。
③ スザンナは豊満で装身具や鏡、香油壺など生々しい存在感があります。ティントレットの
  他の作品のスザンナは神話・物語の中の女性で存在感が薄い。
④ 総合的に見て芸術として大事な「斬新性」、「独自性」が高いので美術史博物館所蔵の
  本作品が一番出来が良いと感じる。他の作品はマンネリで独自性も薄く、工芸品に
  近づいてしまっている。依頼されたから描いたという感じです。本作品は依頼者の希望
  か、良く感じる「画家に神様が降りてきて描かせた」のか、或いは特殊な事情があった
  のか?
スザンナと長老たち(ティントレット、1555~56年作)
スザンナの水浴(ティントレット、1550年頃作、ルーヴル美術館蔵)

スザンナと長老たち(ティントレット、1552~55年作、プラド美術館蔵)

スザンナ(ティントレット、1580年頃作、ワシントン・ナショナルギャラリー蔵)
            

 2014年7月にウィーン美術史博物館を訪問しました。今回はアントニオ・アッレグ・ダ・コレッジョ作「ユピテルとイオ」を紹介します。
 アントニオ・アッレグ・ダ・コレッジョ(1489年頃~1534年)は北イタリアのコレッジョで布地職人の息子に生まれました。伯父等から絵画を学んだ後、1506年にマントヴァに移りました。
 「ユピテルとイオ」は1531年マントヴァ候フェデリコ2世ゴンザ―ガが注文した四部作「ユピテルとイオ」、「ガニュメデスの略奪」、「レダと白鳥」、「ダナエ」の内の1枚です。「ガニュメデスの略奪」もウィーン美術史博物館が所蔵・展示しています。「ユピテルとイオ」はゼウスが黒雲に化けてイオに迫るという神話に基づいた絵です。ゼウスは鷲に化けてガニュメデスを浚い、霧に化けてダナエみ迫り、白鳥にも化けます。やりたい放題です。
ユピテルとイオ(コレッジョ作)

ガニュメデスの略奪(コレッジオ作)

ダナエ(コレッジオ、1531~32年作、ボルゲーゼ美術館蔵)

レダと白鳥(コレッジオ、1532年作、ベルリン絵画館蔵)
        

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