世界美術館巡り旅

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2023年04月

 2016年6月 ノイエ・マイスター/アルベルティヌム(ドレスデン)を訪問しました。アルテ・マイスター/ゲメルデ・ガレリーと棲み分けをしていて、彫刻と19世紀以降の絵画を所蔵・展示をしています。今回はカスパー・ダヴィデ・フリードリッヒ作「月夜に沈思する二人の男」を紹介します。
 カスパー・ダヴィデ・フリードリッヒ(1774~1840年)はロマン主義のドイツ人画家です。ドイツ最北部で石鹸・蝋燭業の父の四男として生まれました。幼少期に妹を亡くし、13歳の時氷上で自分を助けようとした弟を亡くしました。その後姉や母も亡くしました。1794年に(20歳で)コペンハーゲンの美術アカデミーに入学、更にドレスデンの美術学院で学びました。1810年に「海辺の修道士」と「樫の森の中の修道院」の2作品が、プロイセン王室買い上げとなりました。その後、ベルリン美術アカデミーの在外会員にも選ばれました。
 「
月夜に沈思する二人の男」は類似の作品「月を眺める男と女(ベルリン国立美術館蔵)」、「月を眺める二人の男(メトロポリタン美術館蔵)」の間で、最初に描かれた作品です。三日月と金星を眺める作者ともう一人の男性の後ろ姿を描いています。もう一人のモデルは弟子とか親族とか諸説あるようです。この画家は墓場、十字架、後ろ姿、修道院、氷原、雪山などを多く描いています。アルベルティヌムには地元ということで、カスパー・ダヴィデ・フリードリッヒの作品が複数所蔵・展示されていました。それらも紹介します。
月夜に沈思する二人の男(カスパー・ダヴィデ・フリードリッヒ、1819年作)
Caspar_David_Friedrich_-月夜に沈思する二人の男
山上の十字架(キャスパー・ダヴィデ・フリードリッヒ作)
山上の十字架 キャスパー・ダヴィデ・フリードリッヒ
墓地(キャスパー・ダヴィデ・フリードリッヒ作)
墓地 フリードリヒ
雪の中のケルン(キャスパー・ダヴィデ・フリードリッヒ作)
Caspar_David_Friedrich_雪の中のケルン

 2016年6月 アルテマイスター(ドレスデン)を訪問しました。今回はスルバラン作「祈るボナヴェントゥラ」を紹介します。 
 フランシスコ・デ・スルバラン(1598~1664年)はバロック期のスペイン人画家です。スペイン南西部で生まれ、セビリアの画家に師事しました。1628年メルセス修道会から創始者の聖ペドロ・ノラスコの連作を依頼されて名声を上げ、ベラスケスの引きでマドリードのブエレティー宮の装飾請け負いました。1640年頃からムリーリョが持て囃され、スルバランは徐々に忘れられました。スルバランは明暗の対比に特徴がありますが革新性は少なく、古風な画風です。
 ボナヴェントゥラ(1221~1274年)はイタリア人の神学者です。教皇グレゴリウス10世の教皇選出に貢献して枢機卿に抜擢され、僅か26歳でフランシスコ修道会総長に任命されました。教皇選出の際のボナヴェントゥラを描いています。右入口の向こうには教皇選出を協議する枢機卿たちが描かれています。黒い壁と人物たちとのコントラストが眼に刺さります。刺激的な絵です。
祈るボナヴェントゥラ(フランシスコ・デ・スルバラン作)
祈るボナヴェントゥラ  スルバラン

 2016年6月 アルテマイスター(ドレスデン)を訪問しました。今回はレンブラント・ファン・レイン作の「居酒屋の放蕩息子」を紹介します。
 レンブラント・ファン・レイン(1606~1669年)はバロック期のオランダ人画家です。集団肖像画の作品が有名で、特に「夜警」は世界三大絵画に選ばれるくらいです。
 この「居酒屋の放蕩息子」はレンブラントには珍しい風俗画に分類される作品です。更に放蕩息子がレンブラント自身、居酒屋(宿屋)の女性がレンブラントの最初の妻のサスキアだと伝わります。エルミタージュ美術館所蔵の「フローラに扮したサスキア」も有名な作品です。レンブラントは集団肖像画、肖像画、自画像、歴史画、神話画を多く描いたんですが、風俗画はほとんど残っていません。不思議です。更に画家自身が聖書に出てくる放蕩息子に扮して、新婚早々の妻のサスキアも居酒屋の女性に描くとは、とんでもない作品です。
  先ず、この絵の人物が本当にレンブラントとサスキアかをレンブラントの作品を俯瞰・見比べて、確認してみました。結論は、レンブラントとサスキアだと思われます。レンブラントの年代ごとの自画像と見比べると、この放蕩息子はレンブラントの容貌や髭が一致します。「フローラに扮したサスキア」は美人ですが、どうも「盛った(実際よりも美女に描いた)」ようです。このころの女性モデルは豊満な女性と痩せ気味のサスキアか、依頼された肖像画です。レンブラントは「盛った」肖像画をほとんど描いていませんが、女性は「○○に扮した誰それ」という画題で「盛った」肖像を描いています。それ以外にも、鎧兜を身に着けた男性や額縁の中の女性・少女を「盛って」描いています。「フローラに扮したサスキア」は最高に「盛って」います。写実的な、地味なサスキアも作品が残っています。それらを平均した容貌は、ほぼ「居酒屋の放蕩息子」の女性と一致します。ちょっと気が強い感じに描いています。
  レンブラントは『テュルプ博士の解剖学講義(1632年作)』で集団肖像画家として名声を得ました。注文が一杯来て工房も構え、弟子も抱えました。作品を描くための材料(骨董品や資料)も買い込みました。彼の浪費癖や(元市長の資産家の娘の)サスキアと結婚した事へのやっかみも出ました。
  レンブラントはこの絵を描いて工房の応接間にでも飾って、笑い飛ばした(開き直った)のではないかと思います。
  レンブラントを放蕩息子に描いて、彼がライデンの製粉事業者一族の息子で、四人の兄が事業を継いでいる。彼の生まれも悪くないことを、刀を腰につけていることでアピールした。手に持った大きなビールグラスで彼の浪費を認め、開き直った。妻のサスキアを居酒屋の女主人に見立て、絵を見る人を見つめさせた。彼女と(富貴・優雅の象徴と気位の高いことを暗示する)孔雀が、こちらを見ています。
  「サスキアは富貴で健気に放蕩息子の(財布・財産)を見張っている。
放蕩息子のお勘定(浪費)を心配する必要はない。」と開き直っているように見えます。これを主張するためにこの絵を描いたと思います。
居酒屋の放蕩息子(レンブラント・ファン・レイン、1635~37年作)
居酒屋の放蕩息子  レンブラント
フローラに扮したサスキア(レンブラント・ファン・レイン、1634年作)

2016年6月 アルテマイスター(ドレスデン)を訪問しました。今回はコレッジョ作「聖フランシスと聖母子」を紹介します。コレッジョ作「聖セバスティヌスと聖母子」も所蔵しています。
 コレッジオ(1489年頃~1534年)は北イタリア モデナ近くのコレッジョで布地職人の息子に生まれました。誰に師事したかは不明です。1506年頃にマントヴァに移り傑作を描き、1519年にパルマに移り、1534年故郷に戻る旅の途中で亡くなりました。ラファエロに並び称する人もいたようですが、フィレンツェやローマで有名になることはありませんでした。
 この2作品とも聖人が聖母子を指さしてこちらを見ています。「貴方も聖母子に祈りなさい。」とでも言っているのでしょうか。もう少し後のバロック期絵画に類似した画風のような気がします。ルネッサンス盛期にこの絵を描いたというのは特筆すべき画家です。
聖フランシスと聖母子(コレッジョ、1514~15年作)
聖フランシスと聖母子 コレッジオ
聖セバスティヌスと聖母子(コレッジョ、1525~26年作)
聖セバスチャンと思慕 コレッジオ

 2016年6月 アルテマイスター(ドレスデン)を訪問しました。今回はペルジーノ作「クリスピヌス」を紹介します。
  ペルジーノ(1448年頃~1523年)はイタリア ウンブリア派の画家です。ペルージャ近郊で生まれ、フィレンツェのヴェロッキオ工房で油絵を習得しました。バチカン システーナ礼拝堂の壁画装飾に棟梁格で参画しました。代表作はシステーナ礼拝堂の壁面を飾る「聖ペテロへの天国の鍵の授与(下部で紹介)」です。ラファエロの師に当たるとも言われます。
  聖クリスピヌスと聖クリスピ二アヌスは双子の兄弟で、ガリア人に布教して、総督に拷問の末斬首されました。この絵は兄弟を描いた祭壇画の一翼・一部だと思われます。ペリジーノの特色(感傷的、優美、上品)が良く現れた小品です。
聖クリスピヌス(ペルジーノ作)
聖クリスピぬス ペルジーノ
 ペルジーノの代表作も紹介します。
聖ペテロへの天国の鍵の授与(ペルジーノ、1482年作、システーナ礼拝堂蔵)

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