世界美術館巡り旅

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2019年04月

 ジャンフランチェスコ・ペンニ(1488年頃~1528年)はルネッサンス期のイタリア人画家です。ラファエロの主要な弟子の一人です。
ジャンフランチェスコ・ペンニの肖像
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 ジャンフランチェスコ・ペンニはフィレンツェで織物職人の息子に生まれました。幼少からローマにあったラファエロの工房に弟子入りしました。ラファエロが37歳で急逝した後ジュリオ・ロマーノと共同で、ヴァチカン宮殿のラファエロの間の壁画を完成させました。1526年にローマを離れ、マントヴァ、ロンバルディア、ナポリを旅行しました。年代順に作品を紹介します。
青い冠の聖母(ジャンフランチェスコ・ペンニ 1512~18年作)
1512-18  青い冠の聖母
本の聖家族(ジャンフランチェスコ・ペンニ 1512~18年作)
1512-18  本の聖家族
聖母の訪問(ジャンフランチェスコ・ペンニ 1517年作)
1517 La Visitación
若い男の肖像(ジャンフランチェスコ・ペンニ作)
若い男の肖像
羊飼いの礼拝(ジャンフランチェスコ・ペンニ作)
Adoración de los pastores羊飼い
神の愛の聖母(ジャンフランチェスコ・ペンニ作)
Madonna_del_Divino_Amore,_Giovan_Francesco_Penni
歩く聖母(ジャンフランチェスコ・ペンニ作)
Madonna_del_Passeggio,_Raffaello_e_Penni
聖ヨハネと聖家族(ジャンフランチェスコ・ペンニ作)
聖ヨハネと聖家族
 ラファエロ工房の主要な弟子なので、ラファエロ作品との識別がむつかしいですね。

 アンドレア・ポッツォ(1642~1709年)はバロック期のイタリア人画家・建築家・装飾家です。遠近法を誇張しただまし絵的装飾画で評判となりました。
            自画像(アンドレア・ポッツォ 1690年以降作)
1690以降Andrea_Pozzo,_autoportrait
 アンドレア・ポッツォはトレントで生まれ、地元のイエズス会の学校で学びました。画才を認められ、17歳の時ヴェネツィアの芸術家の元に弟子入りしました。1665年に平修士としてイエズス会に入会して、教会の装飾などの仕事しました。1681年にイエズス会総長から呼ばれてローマに行きました。遠近法によるだまし絵が評判となり、1685~94年の間聖イグナチオ・デ・ロヨラ教会の天井画・ドーム画を制作しました。その後イタリア各地イエズス会教会の装飾に携わりました。1702年にウィーンに招かれ、同地で亡くなりました。年代順に作品を紹介します。
聖イグナチオ・デ・ロヨラ教会のだまし絵ドーム(アンドレア・ポッツォ 1685~90年作)
1685‐90Sant'Ignazio_-_painted_dome_-_antmoose
            自画像(アンドレア・ポッツォ 1690年以降作)
1690ikou  igazou
     聖イグナチオ・デ・ロヨラの栄光(アンドレア・ポッツォ 1691~94年作)
1691-94 聖イグナチオ・デ・ロヨラの栄光
        イエスの使命の寓意(アンドレア・ポッツォ 1691~94年作)
1691‐94 Allegory of the Jesuits' Missionary Work (detail)
     聖イグナチオ・デ・ロヨラの祭壇(アンドレア・ポッツォ 1695~99年作)
1695‐99 Altarpiece of Saint Ignatius Loyola
インド女王を洗礼するフランシスコ・ザビエル(アンドレア・ポッツォ 1701年作)
1701Saint Francis Xavier Baptising Queen Neachile of India
       ヘラクルスの行為と栄光(アンドレア・ポッツォ 1704~08年作)
1704‐08 ヘラクルスの行為と栄光
 遠近法強化のだまし絵を写真で見ても今一つ良く分かりません。是非銀物を見たいと思います。

 アンブロシウス・ベンソン(1495年頃~1550年)は初期フランドル派に分類されるイタリア人画家です。
聖ルカに扮した自画像?(アンブロシウス・ベンソン作)
Ambrosius_Benson_(and_studio)_-_Saint_Luke
 アンブロシウス・ベンソンは1515年以前にブルッヘンに住むヘラルト・ダフィトの弟子になりました。その後帰化して、ブルッヘン市民となりました。1519年にマスターとなり、1537~39年と1543~44年の二回聖ルカ組合長を務めました。年代順に作品を紹介します。
聖母子(アンブロシウス・ベンソン 1520~25年作)
1520-25  seiboshi
読書する若い女(アンブロシウス・ベンソン 1520年代作)
1520s dokushosuru wakaionnna
ピエタ(アンブロシウス・ベンソン 1525~32年作)
1525-32  pieta
読書するマグダラのマリア(アンブロシウス・ベンソン 1525年頃作)
1525頃読書するマグダラのマリア 
降架(アンブロシウス・ベンソン 1528年作)
1528  kouka
聖アンナと聖母子(アンブロシウス・ベンソン 1528年作)
1528 sei-annna to seiboshi
聖バルバラ・聖カタリナと聖母子(アンブロシウス・ベンソン 1530~32年作)
1530-32  聖バルバラと聖カタリナと聖母子
ホロフェルネスの首を持つユディト(アンブロシウス・ベンソン 1530~33年作)
1530-33  ホロフェルネスの首を持つユディト
ペルシャのシビュラ(アンブロシウス・ベンソン 1530年頃作)
1530koro  ペルシャのシビュラ
聖母子(アンブロシウス・ベンソン 1531年作)
1531 seiboshi
読書するマグダラのマリア(アンブロシウス・ベンソン 1535年作)
1535  dokusho  magudara
ルクレチアの死(アンブロシウス・ベンソン作)
ルクレチアの死
 初期フランドルの典型的な画風の画家です。

 ベルナルド・ベッロット(1720~1780年)はカナレットの甥に当たるイタリア人風景画家です。
 ベルナルド・ベッロットはヴェネツィアで生まれました。才能を認められ14歳から、伯父のカナレットの下で修行しました。1742年に単身でローマ旅行しました。1744年には北イタリアを旅行しました。1747年から1758年の間ポーランド王アウグストの招きで、領地であったドレスデンに滞在しました。1758年にはハプスブルク家マリア・テレジアにウィーンへ招かれました。ミュンヘン・サンクトペテルブルクを旅行した後、ポーランド宮廷画家となりました。年代順に作品を紹介します。
ヴェネツィア大運河(ベルナルド・ベッロット 1738年作)
1738 grand-canal-view-from-north
サン・マルコ広場(ベルナルド・ベッロット 1740年作)
1740  san-marco-square-from-the-clock-tower
コロッセウム(ベルナルド・ベッロット 1742年作)
1742  colosseum-and-arch-of-constantine-rome
エルベ側右岸から見たドレスデン(ベルナルド・ベッロット 1748年作)
1748 erube-kawa ugannkaramita doresudenn
ヴェネツィアのドミニカン教会(ベルナルド・ベッロット 1758年作)
1758  the-dominican-church-in-vienna
スタニスワフ2世を選出した国王自由選挙(ベルナルド・ベッロット 1764年作)
1764 スタニスワフ2世を選出した国王自由選挙
聖アンナ教会(ベルナルド・ベッロット 1774年作)
1774 sei-annna-kyoukai
蜂蜜通り(ベルナルド・ベッロット 1777年作)
1777  hachimitsu-doori
クラクフの眺望(ベルナルド・ベッロット 1778年作)
1778  view-of-cracow-suburb-from-nowy-świat-street
ブルー・パレス(ベルナルド・ベッロット 1779年作)
1779  the-blue-palace
 二十歳までは伯父のカナレットそっくりの絵を描いていたようです。

 ドメニコ・ベッカフーミ(1486~1551年)はルネッサンス・マニエリスム期のイタリア人画家です。シエナ派最後の代表画家の一人です。

自画像(ドメニコ・ベッカフーミ 1525~30年作)
1525-30  自画像
 ドメニコ・ベッカフーミはシエナ近郊モンタペルティで農民の息子に生まれました。地主のロレンツォ・ベッカフーミが才能を見込み保護して、画家マルチェロの下で絵画を学ばせました。1509年に一旦ローマへ出ましたが、間もなくシエナに戻りました。年代順に作品を紹介します。
キリスト三連祭壇画(ドメニコ・ベッカフーミ 1513年作)
1513  sannrenga
ペネロペ(ドメニコ・ベッカフーミ 1514年作)
1514 ペネロペ
シエナの聖カトリーヌ(ドメニコ・ベッカフーミ 1515年作)
1515 シエナのsei katori-nu
天井画(ドメニコ・ベッカフーミ 1519~23年作)
1519-23  tennjouga
聖カトリーヌ神秘の結婚(ドメニコ・ベッカフーミ 1521年作)
1521  sei katorina shinnpi kekkonn
聖ルシア(ドメニコ・ベッカフーミ 1521年作)
1521  sei rushia
聖ヨハネと聖家族(ドメニコ・ベッカフーミ 1523~24年作)
1523-24 seikazoku yohane
モーゼと黄金湾(ドメニコ・ベッカフーミ 1523~24年作)
1523‐24 モーゼと黄金湾
スプリウス・カッシウスの打ち首(ドメニコ・ベッカフーミ 1532~35年作)
1532-35 スプリウス・カッシウスの打ち首
幼い聖ヨハネと聖母子(ドメニコ・ベッカフーミ 1540年作)
1540 幼い聖ヨハネと聖母
聖母マリアの誕生(ドメニコ・ベッカフーミ 1543年作)
1543 聖母マリアの誕生
受胎告知(ドメニコ・ベッカフーミ 1545年作)
1545  jutaikokuchi
 宗教画を主に描いた画家です。

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