世界美術館巡り旅

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2018年09月

 2018年6月トロント市庁舎見学後、トロント金融街とユニオン・ステーションを散策しました。市庁舎前広場の前に地下街入り口があり、そこを通ってユニオン・ステーション近くまで行けました。いくつかの地下街が繋がったようで、行き先表示を頼りに進みました。
南方面へ行ける地下街通路入り口
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地下街の様子
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地下街から金融街に出ました。たくさんの高層ビルがあり、ほとんどが銀行でした。
金融街の東西方向の通り
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多連結のトラムも走っていました。退社時間帯で人通りも多かった。
カナダ・ロイヤル銀行
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ノヴァ・スコッティア銀行
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トロント証券取引所
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モントリオール銀行
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RBCロイヤル銀行
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街を見た感じでは、数十の銀行がありそうでした。銀行街の南側に出ると、ユニオン・ステーションが見えてきました。
ユニオン・ステーションとCNタワー遠景
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ユニオン・ステーションの東端
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ユニオン・ステーションの正面近く
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ユニオン・ステーション構内ホール
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 駅の西側に空港行きの高速鉄道駅があるようなので、スカイ・ウォークという通路を歩いて行きました。
スカイ・ウォークの入り口
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スカイ・ウォーク通路の様子
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天井から空が見えるので、「スカイ・ウォークなのか。」と思いました。
空港行き高速電車のプラットフォーム
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空港行き高速列車の自動券売機
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 列車は15分間隔で、所要時間12分とありました。ホテルから地下鉄+徒歩+高速電車で、空港まで1時間弱掛かりそうでした。もう一つの選択肢がホテルから地下鉄+(トランスファーなので無料の)バスで、空港まで1時間前後でした。後者は地下鉄シニア割引の1カナダ・ドル(80円強)で済みます。断然安いので、翌朝は地下鉄+バスで行くことにしました。

 アンゼルム・フォイエルバッハ(1829~1880年)は肖像画・歴史画を多く描いたドイツ人画家です。
自画像(アンゼルム・フォイエルバッハ作)
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 アンゼルム・フォイエルバッハはドイツ南西部のシュパイヤーで、考古学者の息子に生まれました。祖父は同名の法律学者でした。デュッセルドルフとミュンヘンの美術学校で学んだ後、アントウェルペン、パリに移りました。カールスルーエ、ヴェネツィア、ローマで働き、ウィーンでヨハネス・ブラームスと親交を深めました。ウィーンで披露した「タイタンの凋落」の反響がなかったことに失望してヴェネツィアに行き、同地で没しました。年代順に作品を紹介します。
酒場のハーフェス(アンゼルム・フォイエルバッハ 1852年作)
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地層の割れ目(アンゼルム・フォイエルバッハ 1855年作)
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英雄の故郷(アンゼルム・フォイエルバッハ 1855年作)
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ナンナの肖像(アンゼルム・フォイエルバッハ 1860年作)
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イペゲネイアの肖像(1862年作)
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パオロとフランチェスカ(アンゼルム・フォイエルバッハ 1864年作)
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 泉の料金徴収(アンゼルム・フォイエルバッハ 1866年作)
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チボリの思い出(アンゼルム・フォイエルバッハ 1867年作)
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ニンフの休息(アンゼルム・フォイエルバッハ 1870年作)
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女魔法使いメディア(アンゼルム・フォイエルバッハ 1870年作)
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パリスの審判(アンゼルム・フォイエルバッハ 1870年作)
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自画像(アンゼルム・フォイエルバッハ 1873年作)
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アマゾネスの闘い(アンゼルム・フォイエルバッハ 1873年作)
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プラトンの饗宴(アンゼルム・フォイエルバッハ 1874年作)
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芸術家の継母(アンゼルム・フォイエルバッハ 1878年作)
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上手い画家ですネ。

 2018年6月にトロント市庁舎を観光しました。内部にも自由に出入り出来ました。
南側広場から見た市庁舎
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市庁舎前広場から見た旧市庁舎
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旧市庁舎は立ち入り禁止となっていました。市庁舎のロービーには自由に入れました。
市庁舎入り口のロビー
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市庁舎ロビーの行き先表示板
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役所機能だけでなく、図書館・カフェ・結婚式場(ウェディング・?チャンバーとあり、婚姻届けと認証を行うだけかも)などもあるようです。
市庁舎一階の廊下
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ロビー縁にあったトロント市街の模型
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CNタワーも有り、かなり正確に作られた模型のようです。
市庁舎が識別できる模型写真
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            二つの高いビルの間から覗けるやや赤っぽい建物
噴水越しの市庁舎前景
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市庁舎を背景に記念写真
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市庁舎観光後地下街を通って、ユニオン・ステーションに向かいました。

 フィリップ・ファイト(1793~1877年)はロマン派のドイツ人画家です。忘れられたフレスコ画の技法を復活させた最初の画家とされています。
自画像(フィリップ・ファイト 1816年作)
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 フィリップ・ファイトはベルリンで銀行家の息子に生まれました。母親は哲学者モーゼス・メンデルスゾーンの娘でした。1799年に両親が離婚して、母親に引き取られました。母親はロマン派思想家と再婚しました。
 ドレスデンで画家カスパー・ダヴィド・フリードリヒに学び、その後ウィーンで学びました。水彩画が得意で、油絵は少し苦手だったようです。1810年代にローマへ行き、ナザレ派の活動に参加しました。その後フランクフルトに移りました。1813~14年ナポレオン戦争に参戦後、しばらくベルリンに住みました。
 1830~34年フランクフルトで美術館長と美術学校教授を務めました。1853年マインツ市立美術館長に就任しました。年代順に作品を紹介します。
天井画「天国」(フィリップ・ファイト 1818~24年作)
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宗教の寓意(フィリップ・ファイト 1819年作)
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ゲルマニア(フィリップ・ファイト 1836年作)
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ベルンの マリー・フェリーチェの肖像(フィリップ・ファイト 1862年作)
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豊穣の国アブンダンティアのルネタ(フィリップ・ファイト 1864年作)
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ローマの旅籠でスペイン・ワインを飲むフランツ・リードヴィヒ一行
(フィリップ・ファイト作)
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アルメニアでのキリスト教布教(フィリップ・ファイト作)
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プティファルの女性ホセ(フィリップ・ファイト作)
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ロシアの寓意(フィリップ・ファイト作)
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油絵「ゲルマニア」(フィリップ・ファイト作)
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 フレスコ画の技法は壁に漆喰を塗り、生乾きの時に水性顔料(水彩絵の具)で描きます。水彩画が得意だったフィリップ・ファイトに適した画法だったのでしょう。

 2018年6月オンタリオ美術館訪問後、トロント大学を散策してみました。トロント大学はオンタリオ州立の大学で、オンタリオ美術館の北側をトロント大学セントジョージ・キャンパスと呼ぶようです。オンタリオ美術館の一本西側の道を北へ歩きました。
北西方向から見たオンタリオ美術館
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この写真の左側(北方向)へ歩きました。キャンパスに入り両側の建物を見ると、サイエンスとかエンジニアリングの表示が多くありました。
建物の表示
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北に10分程歩いてから右側へ曲がって大学中心部に入っていきました。広場とホール様建物(コンボケイション・ホール)の前に出ました。6月と言うことで、卒業式をやっていました。
コンボケイション・ホールに入場する卒業生の父兄
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コンボケイション・ホールに入る卒業生
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卒業生は夫々のカレッジから一列に並んで歩き、ホールに入っていきました。黒いマントと白いマフラーを着ていました。
広場越しに見えたユニバーシティー・カレッジの古い建物
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左側は卒業式父兄の接待所か謝恩会場のようでした。
ユニバーシティー・カレッジの前景
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相当古い建物のようで、立ち入り禁止でした。
カレッジの一つと思われる建物
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構内のグランド
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広いグランドでした。夏休みのせいか学生が少なかった。
クイーンズ・パーク近くのトロント大学門柱
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トロント大学の表示板
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トロント大学表示板の下で記念撮影
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クイーンズ・パーク
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この「パーク」は公園でなく、駐車場の意味のようです。ここから徒歩で、市庁舎に向かいました。

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