世界美術館巡り旅

世界の美術館・旅行・画家・絵画の情報共有サイト

2018年06月

 レオポルト・フォン・カルクロイト(1855~1928年)は、人物画や人物の入った風景画を描いたドイツ人画家です。
自画像(レオポルト・フォン・カルクロイト 1906年作)
イメージ 1
 レオポルト・フォン・カルクロイトはデュッセルドルフで画家の息子に生まれました。ワイマールの美術学校で学んだ後1878年にミュンヘン美術学校に入学し、フランツ・フォン・レンバッハの指導を受けました。1885年にワイマールで美術学校教師となりました。1895年ネカールスルーエの州立美術学校の教授に就任しました。保守的なフェルディナント・ケラーと対立して、1899年に美術学校を去りました。1900年シュツットガルトの美術学校校長に就任しました。1901年に同校が王立美術アカデミーとなるのに貢献しました。年代順に作品を紹介します。
母子のいるイタリア風景(レオポルト・フォン・カルクロイト 1885年作)
イメージ 2
夏(レオポルト・フォン・カルクロイト 1890年作)
イメージ 3
果物を食べる少年(レオポルト・フォン・カルクロイト 1893年作)
イメージ 4
日曜日の午後(レオポルト・フォン・カルクロイト 1893年作)
イメージ 5
エルベ川を帰宅する労働者達(レオポルト・フォン・カルクロイト 1894年作)
イメージ 6
ハンブルグ港(レオポルト・フォン・カルクロイト 1894年作)
イメージ 7
子供(レオポルト・フォン・カルクロイト 1894年作)
イメージ 8
画家の息子(レオポルト・フォン・カルクロイト 1900年作)
イメージ 9
収穫の時(レオポルト・フォン・カルクロイト 1900年作)
イメージ 10
エルベ川の休日(レオポルト・フォン・カルクロイト 1894年作)
イメージ 11
自画像(レオポルト・フォン・カルクロイト 1908年作)
イメージ 12
Alexander_schnuetgenの肖像(レオポルト・フォン・カルクロイト1920年作)
  イメージ 13
 保守的なフェルディナント・ケラーと対立したと伝わりますが、画風はオーソドックスで十分保守的です。対立するようには思えません。対立しそうなのは画題です。労働者や労働者の生活・子供を描いていました。これが保守的な画家と対立したような気がします。

 2018年6月にサンフランシスコを訪問した際、マーケット通りのシビックセンター駅近くにあるサンフランシスコ官庁地区を朝散策しました。スケジュールの都合で外観を見るだけで、パウエル通り・マーケット通りの交差点に移動してしまいました。その際の写真を紹介します。
サンフランシスコ市庁舎全景
イメージ 1
サンフランシスコ市庁舎玄関口で記念撮影
イメージ 2
重厚な玄関の装飾ですネ。
戦争記念オペラ座
イメージ 3
ルイス・デーヴィス シンフォニーホール
イメージ 4
サンフランシスコ図書館
イメージ 5
サンフランシスコ・アジア博物館
イメージ 6
バート・地下鉄 シビック・センター駅入り口
イメージ 7
シビックセンター近く広場のマーケット
イメージ 8
マーケットの野菜店
イメージ 9
新鮮でリーゾナブルな(スーパーマーケットより安い)価格でした。地元の人が買い物をするマーケットのようでした。

 ヘルマン・フォン・カウルバッハ(1846~1906年)は、歴史画・風俗画・肖像画を多く描いたドイツ人画家です。
ヘルマン・フォン・カウルバッハの肖像
イメージ 1
 ヘルマン・フォン・カウルバッハはミュンヘンで、ミュンヘン美術学校長だったヴィルヘルム・フォン・カウルバッハの息子に生まれました。ベルリン大学医学部に進学したのですが、画家を目指して退学しました。1867年にミュンヘン美術学校に入学して、ピロティの下で絵画を学びました。1880年と1891年にローマを旅しました。1886年にミュンヘン美術学校の教授に就任しました。多くの肖像画を描きましたが、特に子供の絵が大好評だったようです。制作年が分かる作品は少ないようです。作品を紹介します。
静物(ヘルマン・フォン・カウルバッハ 1865年作)
イメージ 2
ミュンヘン美術学校入学前の19歳の絵です。既に高い画力を備えていたようです。
モーツァルト最後の日(ヘルマン・フォン・カウルバッハ 1873年作)
イメージ 3
雨傘の二人の子供(ヘルマン・フォン・カウルバッハ 1906年作)
イメージ 4
Graf_Alois_von_Arcoの肖像(ヘルマン・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 5
アントン・ブルックナーの肖像(ヘルマン・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 6
最初の告白(ヘルマン・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 7
聖書を読む(ヘルマン・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 8
スープ(ヘルマン・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 9
特急列車の到着(ヘルマン・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 10
フェルト帽の少年(ヘルマン・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 11
内気な少女(ヘルマン・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 12
Ruppsack(ヘルマン・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 13
男性肖像画や静物画を見ると「盛る(実物より美しく描く)」画家ではなさそうです。子供の姿が、絵のように見えたんでしょう。

 2018年6月にサンフランシスコ観光した際、パウエル通りとマーケット通りの交差点近くでケーブルカーを反対方向に回すのを見学しました。
ケーブルカーを反転させる円板
イメージ 1
 この円板の上にケーブルカーを載せて、方向を反転させるようです。向こう側の左のレールを南下して来たケーブルカーを、右の北上するレールに移し替えます。
南下してきたケーブルカー
イメージ 2
ケーブルカーを円板の上に載せます
イメージ 3
人力で回します
イメージ 4
ほぼ回し終わりました
イメージ 5
回し終わると並んでいた観光客が乗り込みます
イメージ 6
乗客が乗り込んだケーブルカーの前で記念撮影
イメージ 7
 朝八時過ぎですが、既に観光客が沢山並び始めていました。大したことはないのですが、何かワクワク感を醸し出していました。

 フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ(1850~1920年)は歴史画・肖像画を多く描いたドイツ人画家です。
 フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハはミュンヘンでハノーファー王国宮廷画家フリードリヒ・カウルバッハの息子に生まれました。ニュルンベルク王立美術学校で学んだ後、1871年にミュンヘンに戻りました。ドイツ・アメリカの上流階級から肖像画を多く受注しました。パリ滞在後、ミュンヘン美術学校の校長に就任しました。ベルリン美術アカデミーの会員にもなっていました。年代順に作品を紹介します。
Pomona(フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ 1878年作)
イメージ 1
子供のカーニバル
フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ 1888年作)
イメージ 2
犬と一緒の少女
フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ 1900年作)
イメージ 3
若い貴婦人の肖像
フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ 1900年作)
イメージ 4
チェリー
フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ 1903年作)
イメージ 5
歌手Geraldine Farrarの肖像
フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ 1906年作)
イメージ 6
ゲルマニア
フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ 1912年作)
イメージ 7
アルカデア(フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 8
ヴァイオリニストフリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 9
犬と寛ぐ少女フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 10
ウィルヘルム 2世フリードリヒ・アウグスト・フォン・カウルバッハ作)
イメージ 11
美女、美少女、美男のオンパレードです。相当「盛る(実際より美しく描く)」のが上手かった画家のようです。

↑このページのトップヘ