マックス・エルンスト(1891~1976年)はドイツ生まれの画家で、ダダイスムからシュルレアリスムへ移行しました。作風は多岐に亘ります。
マックス・エルンストはドイツ ケルン近郊のブリュールで、アマチュア画家で聾唖学校教師の息子に生まれました。1909年から1912年の間ボン大学で哲学や美術史を学びました。1912年にアウグスト・マッケの「ライン地方表現主義者グループ」に入会しました。「青騎士グループ」とも接触しました。
1914年第一次世界大戦に砲兵隊員として従軍しました。1916年にはダダイストの展覧会に参加しました。1919年にはパウル・クレーやキリコと知己を得ました。1920年にはポルノグラフィー制作容疑で起訴されました。
1922年パリに出て、1923年アンデパンダン展に出品、1924年にはキュビストとして賞賛を受けました。その後その作品はナチスによって「退廃芸術展」に展示されて、晒し者にされました。シュールレアリスム宣言に共感して、合流しました。
1941年米国に脱出しました。第二次世界大戦後の1949年に、パリへ戻りました。1954年ヴェネツィア・ビエンナーレで大賞を受けました。1956年にベルリン芸術アカデミー会員に選ばれました。1958年にフランス市民権を得ました。年代順に作品を紹介します。
自画像(マックス・エルンスト 1909年作)
18歳で大学1年生の時の作品です。上手いとは言いづらいですが、迫力ありますネ。
架刑(マックス・エルンスト 1913年作)
この絵も次の何枚かも、表現主義の影響を強く受けています。
塔(マックス・エルンスト 1916年作)
手に帽子、頭に帽子(マックス・エルンスト 1919年作)
家族旅行(マックス・エルンスト 1919年作)
どちらともとれる人型(マックス・エルンスト 1919年作)
この絵も次の絵も、キリコからの影響が見られます。
水没(マックス・エルンスト 1919年作)
雲の上(マックス・エルンスト 1920年作)
ダダイスムとシュールレアリスムの影響が出て来ました。
病んだ仔馬の脚(マックス・エルンスト 1920年作)
ダダとゴーギャン(マックス・エルンスト 1920年作)
パンチングボール、又はブオナローティの不滅
(マックス・エルンスト 1920年作)
プレイアデス(マックス・エルンスト 1920年作)
中国のナイチンゲール(マックス・エルンスト 1920年作)
言語ー女ー鳥(マックス・エルンスト 1921年作)
友達の再会(マックス・エルンスト 1922年作)
ひらひらする女性(マックス・エルンスト 1923年作)
美しい季節(マックス・エルンスト 1925年作)
三人の目撃者の前で幼いキリストの尻を叩く聖母
(マックス・エルンスト 1926年作)
花と貝(マックス・エルンスト 1929年作)
庭の飛行機罠(マックス・エルンスト 1935年作)
野蛮人(マックス・エルンスト 1937年作)
米国脱出前の苦しい気持ちを表しているのでしょうか?
対立教皇(マックス・エルンスト 1942年作)
カクテルを飲む人(マックス・エルンスト 1945年作)
ユークリッド(マックス・エルンスト 1945年作)
メドーサ色のコロラド(マックス・エルンスト 1953年作)
眠りの後(マックス・エルンスト 1958年作)
ツバメの巣(マックス・エルンスト 1966年作)
星雲の誕生(マックス・エルンスト 1969年作)
ありふれた光景 少女死悪魔(マックス・エルンスト 1971年作)
ライラック(喪)の夕の道(マックス・エルンスト 1975年作)
哲学・政治に拘って、表現主義/ダダイスム/シュールレアリスム/キュビスムと様々な画風・作風を試しました。晩年は政治や哲学から解放され、純粋に美を求めたように感じますが、皆様はどうでしょうか?