世界美術館巡り旅

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2017年10月

 フランシス・ベーコン(1909~1992年)はアイルランド生まれのイギリス人画家です。第二次世界大戦後も抽象画に距離を保ちました。ただ非常に歪んだ具象画を描いたので、具象画家とも呼び辛い画家です。
 フランシス・ベーコンはダブリン(アイルランド)で、退役軍人で競馬訓練士を父にに生まれました。父の家系は、高名な哲学者のフランシス・ベーコンの異母兄に繋がっていました。小児喘息の持病から学校には行かず、個人授業で学びました。1926年(17歳)から水彩や素描を始めました。
 1927年(18歳)からベルリン/パリ/ロンドンで家具設計や室内装飾の仕事を始めました。このころから油絵も始めました。1934年に個展を開きましたが、その後に自作の大部分を破棄しました。1944年から捜索を再開し、1950年からロイヤル・カレッジ・オブ・アーツで指導も始めました。
 歪んだ絵を描き始める前の作品が殆ど破棄されたようで、歪んだ絵を描き始めた理由は分かりませんでした。年代順に作品を紹介します。
肖像(フランシス・ベーコン 1932年作)
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23歳の時の絵です。歪んではいませんが、写実的とも言えません。何か屈折した心境にあったのでしょうか?
十字架刑(フランシス・ベーコン 1933年作)
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ピカソ作ダンスからの習作(フランシス・ベーコン 1933年作)
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この後に個展を開き、その後作品の大部分を廃棄しました。個展が不評だったのでしょうか?1944年に創作を再開すると、更に歪みが激しくなりました。
十字架刑(フランシス・ベーコン 1944年作)
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頭 Ⅵ(フランシス・ベーコン 1949年作)
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ベラスケスからの習作(フランシス・ベーコン 1950年作)
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この年から教鞭に立ちました。当時の画壇に受け入れられたと思われます。
教皇(フランシス・ベーコン 1951年作)
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肖像の習作(フランシス・ベーコン 1952年作)
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座る姿(フランシス・ベーコン 1961年作)
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ジョージ・ダイヤーの肖像の三連画(フランシス・ベーコン 1962年作)
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ヘンリエッタ・モラエの肖像の三連画(フランシス・ベーコン 1963年作)
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夏の三連画(フランシス・ベーコン 1972年作)
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ドア通路に立つ裸婦(フランシス・ベーコン 1972年作)
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ベッドの上の人の習作三連画(フランシス・ベーコン 1972年作)
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自画像(フランシス・ベーコン 1973年作)
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自画像(フランシス・ベーコン 1973年作)
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自画像(フランシス・ベーコン 1982年作)
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自画像の三連画(フランシス・ベーコン 1986年作)
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人体の習作(フランシス・ベーコン 1991年作)
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三連画(フランシス・ベーコン 1991年作)
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なぜこのように歪んだ絵を描き続けたのか、凡人の私には分かりませんでした。

 オーギュスタン美術館はトゥールーズ(フランス)にある美術館です。次回の美術館巡り旅で訪問するかどうか検討するために、公式HPを調べてみました。14世紀に建てられた聖アウグスティヌス修道院を改修した美術館です。大傑作はないですが、名品を所蔵・展示しているようです。所蔵・展示作品を紹介します。
オーギュスタン美術館全景(公式HPから)
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中庭から見たオーギュスタン美術館(公式HPから)
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展示の様子(公式HPから)
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聖アウグスティヌス(ペルジーニ作)
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キリストの包衣(Hernand ESTURMIO作)
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サン・セバスチャンとウルスラと聖母子(マルコ・バザイーティ作)
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大洪水の前の人類(コルネリス・ファン・ハールレム作)
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狩り(ジョヴァンニ・ジ・フランコ作)
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降架(フランドル画家作)
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聖母の訪問(クリストファーノ・ゲラルディ作)
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聖カトリーヌの神秘の結婚(フランチェスコ・カイロ作)
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ムリーリョの作品
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二人の盗人の間のキリスト(ルーベンス作)
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クルソール男爵夫人の肖像(ヴィジェ・ル・ブラン作)
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このヴィジェ・ル・ブランは、マリー・アントワネットのお抱え女流画家だったとのことです。
不和の女神マルセルス・エリス(アングル作)
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サルタン(ドラクロア作)
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マッサージ(エドゥアード・デバット・ポンサン作)
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マラーの死(ROQUES, Joseph作)
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羊飼いの星(コロー作)
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マルガリータの肖像(マネ作)
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モリゾーの作品
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所蔵作品が人物画と人物の入った風景が・宗教画・歴史画に集中しています。更に写実的な絵画ばかりです。センスの良い収集方法だと思います。

 バルデュス(1908~2001年)は、ピカソが「20世紀最後の巨匠」と評した画家です。オイカソもバルデュスの作品を購入・所蔵していたようです。
 バルデュスはポーランド貴族だった父親とロシア系ユダヤ人の母との間に生まれました。ほとんど独学で絵を学び、ルーヴル美術館で巨匠の作品の模写に明け暮れました。イタリア初期ルネッサンス画家のピエロ・デラ・フランチェスカの作品に特に影響を受けたと伝わります。
キリストの洗礼(ピエロ・デラ・フランチェスカ 1450年頃作)
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バルデュスの作品の間に、似たような色調や描き方が散見されます。
 1941年にピカソがバルデュスの作品を購入し、1944年にはバルデュスがピカソの自宅を訪問したりしていました。1964年にはローマのヴィラ・メディチ(フランスの芸術院施設)の館長に任命されました。晩年はスイスの山荘「グランシャレー」に住んでいました。年代順に作品を紹介します。
最初の会話(バルデュス 1926年作)
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Hedwig Mullerの肖像(バルデュス 1928年作)
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20歳頃はまだ自分の画風が固まらず、迷いがあったようです。
キャシーの化粧(バルデュス 1933年作)
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この1993年頃に(25歳で)、自分の画風が固まったようです。フランチェスカの作風と似たところもあるように感じます。
窓/幽霊の恐怖(バルデュス 1933年作)
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ギターのレッスン(バルデュス 1934年作)
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子供たち(バルデュス 1937年作)
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静物(バルデュス 1937年作)
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写実力が相当高まったようです。
夢見るテレーズ(バルデュス 1938年作)
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自画像(バルデュス 1940年作)
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チェリーの木(バルデュス 1940年作)
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黄金の時代(バルデュス 1945年作)
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カード遊び(バルデュス 1950年作)
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猫と裸婦(バルデュス 1950年作)
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部屋(バルデュス 1953年作)
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マントルの前の人影(バルデュス 1955年作)
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トルコ風の部屋(バルデュス 1963年作)
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赤いテーブル近くの日本人少女(バルデュス 1967年作)
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読書するKatia(バルデュス 1974年作)
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画家とモデル(バルデュス 1981年作)
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鏡の猫(バルデュス 1988年作)
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眠る若い少女(バルデュス 1994年作)
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一度見ると記憶に強く残る作品が多いですネ。自然な感じで人物は描かれていません。何かポーズをとっているというか、意味がある様子というかを感じます。

 ヤン・ブリューゲル子(1601~1678年)はフランドルの画家です。ヤン・ブリューゲル父の息子、ピーテル・ブリューゲル父の孫に当たります。
 ヤン・ブリューゲル子は父の工房で修業して、父親と同じスタイルの作品を描きました。父親の作品の模写もやったようです。1624年(23歳)からアンソニー・ヴァン・ダイクとイタリア旅行をしました。翌年父親がコレラで亡くなった為、アントウェルペンに戻り工房を引き継ぎました。1630年に聖ルカ組合の組合長となり、フランス/オーストリア宮廷からの依頼も受けました。パリでも活躍しましたが、1657年にはアントウェルペンに戻りました。ルーベンスとの共同制作も手掛けたようです。年代順に作品を紹介します。
楽園(ヤン・ブリューゲル子 1620年作)
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19歳の時の絵です。この時点での画力は、父親の若い頃に遜色がないように感じます。
ブリュッセル王宮(ヤン・ブリューゲル子 1627年作)
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ブリュッセル王宮(ヤン・ブリューゲル子 1627年作)
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26歳の絵です。人影が見えますが、何故か寂しい感じがします。
地獄の女神ウノ(ヤン・ブリューゲル子 1630年作)
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塔の近くで魚を分ける漁士たち(ヤン・ブリューゲル子 1635年頃作)
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花の精の庭(ヤン・ブリューゲル子 1635年作)
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聖家族(ヤン・ブリューゲル子 1635年作)
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幼い聖ヨハネと聖母子(ヤン・ブリューゲル子 1635年作)
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戦争の寓意(ヤン・ブリューゲル子 1645年作)
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花の精(ヤン・ブリューゲル子 製作年不詳)
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絵が下手な訳ではないのですが、人や動物に躍動感がありません。聖ルカ組合の組合長や工房の経営が忙しくて、絵に対する情熱が薄かったのでしょうか?19歳の時の絵が一番出来が良いように感じます。画家としては、残念な人生だったようです。

 ヤン・ブリューゲル父(1568~1625年)は有名なピーテル・ブリューゲル父の次男で、ブラバント公国(現ベルギー)の画家です。「花のブリューゲル」、「風景のブリューゲル」と呼ばれたそうです。
 ヤン・ブリューゲル父が1歳の時に父のピーテル・ブリューゲル父が亡くなり、長兄のピーテル・ブリューゲル子と姉妹のマリアと共に画家だった祖母に引き取られました。祖母から絵の手ほどきを受けました。一家でアントウェルペンへ移住して、兄と共にギリス・ファン・コーニングスの下で学びました。1589年から7年間イタリアに滞在して、ミラノ大司教フェデリコ・ポロメオの為に働きました。
 1597年にアムステルダムに移り、1601年に聖ルカ組合に加入を認められました。1610年に南部ネーデルランド総督の宮廷画家になりました。初め花や果物の絵を描き、後に風景画を描いて好評を得ました。父とは違う画風で描き、ルーベンスと共同制作もしました。やがて、コレラで亡くなったそうです。年代順に作品を紹介します。
地下のオルフェウス(ヤン・ブリューゲル父 1594年作)
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この絵と次の2作品はイタリア滞在中の絵です。ミラノ大司教からの注文だったのでしょうか。
箱舟に入る動物たち(ヤン・ブリューゲル父 1596年作)
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嵐のガレリア海のキリスト(ヤン・ブリューゲル父 1596年作)
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次の作品以降イタリアから帰国後の絵となります。
イサスの戦い(ヤン・ブリューゲル父 1602年作)
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花(ヤン・ブリューゲル父 1603年作)
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魚市場(ヤン・ブリューゲル父 1603年作)
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川の風景(ヤン・ブリューゲル父 1603年作)
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花(ヤン・ブリューゲル父 1606年作)
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大きな花束(ヤン・ブリューゲル父 1607年作)
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川の造船所(ヤン・ブリューゲル父 1608年作)
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牛と人の居る村の風景(ヤン・ブリューゲル父 1609年作)
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旅人の風景(ヤン・ブリューゲル父 1610年作)
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エデンの園(ヤン・ブリューゲル父 1612年作)
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川沿いの村の祭り(ヤン・ブリューゲル父 1614年作)
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エデンの園のアダムとイヴ(ヤン・ブリューゲル父 1615年作)
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1618年に五感に関する連作を制作したようです。
視覚(ヤン・ブリューゲル父 1618年作)
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臭覚(ヤン・ブリューゲル父 1618年作)
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触覚(ヤン・ブリューゲル父 1618年作)
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聴覚(ヤン・ブリューゲル父 1618年作)
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味覚(ヤン・ブリューゲル父 1618年作)
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サルの恐怖(ヤン・ブリューゲル父 1621年作)
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聖家族(ヤン・ブリューゲル父 1623年作)
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世界各地の美術館に良く展示されているヤン・ブリューゲルの作品は、花やあっさりした風景が多いと記憶します。すべての作品の詳細な描き込みは、素晴らしいものがあります。美術館でこういう作品を余り見かけないのはどうしてなのか、不思議です。息子の絵が多いのでしょうか?息子のヤン・ブリューゲル子も調べてみようと思います。

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