世界美術館巡り旅

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2017年04月

 キース・ヴァン・ドンゲン(1877~1968年)は、フォーヴィスム派(野獣派)のエコール・ド・パリのオランダ系フランス人画家です。立体感や陰影をあまり気をかけず、平面的(デザイン的)な作品が多いようです。
 キース・ヴァン・ドンゲンはオランダ ロッテルダム郊外の酒醸造業の家庭に生まれました。家業を手伝いながら、ロッテルダム美術アカデミーに通いました。1892年から1897年まで、ロイヤル・アカデミーで学びました。1896年から日刊紙のイラスト・レポーターとして働きました。1877年パリに数か月滞在しました。1899年にパリへ転居して、新聞・雑誌の挿絵で生計をたてました。1905年にサロン・ドートンヌ(フォーヴィスムの民間展覧会)に出品しました。1926年にレジオン・ドヌール勲章を受章しました。1968年にモナコで亡くなりました。年代順に作品を紹介します。
アームチェアの裸婦(ドンゲン、1896年作)
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ビーチの日曜日(ドンゲン、1900年作)
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モンマルトルのパリジャン(ドンゲン、1903年作)
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赤い踊り子(ドンゲン、1907年作)
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鏡の前の女性(ドンゲン、1908年作)
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黒い帽子の女性(ドンゲン、1908年作)
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猫と女性(ドンゲン、1908年作)
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竹久夢二の世界ですネ。
リボンの少女(ドンゲン、1909年作)
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バルコニー(ドンゲン、1910年作)
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頬に指(ドンゲン、1910年作)
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座る女性(ドンゲン、1911年作)
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ペットのブラック(ドンゲン、1912年作)
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月明かりの風景(ドンゲン、1912年作)
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花の水盤(ドンゲン、1913年作)
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銀髪の鬘(ドンゲン、1919年作)
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モンパルナス・ブルー(ドンゲン、1920年作)
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ライラックとチューリップ(ドンゲン、1925年作)
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女性と裸婦(ドンゲン、1959年作)
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目が大きくてマスカラがキツイ女性像が多い。挿絵でも描くように、膨大な作品を残しました。

 フランス・ファン・ミーリス 父(1635~1681年)はオランダ黄金期のオランダ人画家です。ライデンで指導者的な画家でした。暗い背景のなかで人物に光を当てて、浮かび上がらせたような作品が多いようです。ホーホの作品と似ていると感じます。
 フランス・ファン・ミーリスはライデンで宝飾金細工師の息子に生まれました。父は金細工師を継がせたかったようですが、本人はドローイングに引かれました。デザイン学校を運営していたアブラハム・トーレンフレートに師事して、絵画だけでなく宝飾・ステンドグラスデザインも手掛けました。レンブラントの死後一時期、オランダ絵画のリーダーと目されました。二人の息子と同名の孫も画家になりました。ライデンで生まれ、死にました。年代順に作品を紹介します。
デュエット(ミーリス父、1658年作)
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レース編み(ミーリス父、1658年作)
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アトリエ(ミーリス父、1659年作)
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牡蠣を食す人(ミーリス父、1659年作)
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布地店(ミーリス父、1660年作)
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絵画(ミーリス父、1661年作)
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シャボン玉を吹く少年(ミーリス父、1663年作)
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自画像(ミーリス父、1667年作)
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鏡(?)の前の女性(ミーリス父、1670年作)
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牡蠣の食事(ミーリス父、1675年作)
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手紙を書く女性(ミーリス父、1680年作)
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音楽団(ミーリス父、1681年作)
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当時の裕福な人々を描いた(風俗)画家でした。ほぼ同時代のスティーンを思い起こさせる絵が多いです。

 ジョルジュ・ルオー(1871~1958年)はフォーヴィスム派(野獣派)のフランス人画家です。師のギュスターヴ・モローを非常に敬愛していたようです。画風が定まる前の作品は文字通りの野獣派的で、味わい深いと思います。
 ジョルジュ・ルオーはパリの場末労働者街の指物師の息子に生まれました。14歳でステンドグラス職人に弟子入りしました。ルオー独特の黒くて太い輪郭は、この頃の経験が影響していた可能性があります。装飾美術学校の夜間講座に通うようになり、1890年に(19歳で)本格的に画家を目指してエコール・デ・ボザールに入学しました。ギュスターヴ・モローの指導を受けましたが、モローは自分の画風を生徒に押し付けることはしませんでした。ここでマティスとの知己も得ました。生涯ギュスターヴ・モローへの敬愛が深く、1903年開設のギュスターヴ・モロー美術館の初代館長になりました。給料が安く、生活にも困ったようです。
 30代になって自分の画風を確立しました。個人的には20代の頃の絵の方が好ましく見えます。年代順に作品を紹介します。
Fille,vers(ルオー、1905年作)
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カップル(ルオー、1905~10年作)
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鏡の前の裸婦(ルオー、1906年作)
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パレード(ルオー、1907年作)
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花嫁(ルオー、1907年作)
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鏡の前の裸婦(ルオー、1906~10年作)
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キリストの説話(ルオー、1924年作)
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三人の判事(ルオー、1936年作)
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十字架のキリスト(ルオー、1936年作)
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女道化師(ルオー、1937年作)
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イタリア女性(ルオー、1938年作)
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キリスト(ルオー、1938年作)
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サーカスのスター(ルオー、1938年作)
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三人の判事(ルオー、1938年作)
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女道化師(ルオー、1939年作)
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Head(ルオー、1940年作)
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聖なる顔(ルオー、1946年作)
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Carmencita Ⅱ(ルオー、1947年作)
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初期(20代)の絵の方が好ましく見えますが、それよりも独自性を求めたのでしょうか?20代の絵も十分独自性がある(斬新)と思えますが・・・・。芸術の難しいところでしょうか?

 モーリス・ド・ヴラマンク(1876~1958年)はフォーヴィスム(野獣)派のフランス人画家です。自由主義の人で、絵画も独学だったようです。30歳前後までの作品は紛れもない野獣派的描き方ですが、その後静寂を感じさせる画風に変わりました。
 モーリス・ド・ヴラマンクはパリの音楽教師の息子に生まれました。母親はピアノを教えていたようです。父親は、モーリスにヴァイオリンを教えました。16歳で家を飛び出してシャトーに住み、17歳で絵を描き始めました。18歳で結婚して、自転車選手をやったり、オーケストラのヴァイオリン奏者をやったりで、才能豊かな人だったと思います。
 アンドレ・ドランと知り合って意気投合し、共同でアトリエを構えました。アンドレ・ドランからマティスを紹介されました。独自の画風ですが、ゴッホの影響が少し見られます。第一次世界大戦後に詩を書いたりしたようです。実に多彩な才能ですネ。その後、ポール・セザンヌを見出しました。年代順に作品を紹介します。
バー・カウンター(ヴラマンク、1900年作)
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シャトーから見た家並み(ヴラマンク、1905年作)
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シャトーから見たセーヌ(ヴラマンク、1905年頃?)
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若い女性の肖像(ヴラマンク、1906年作)
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セーヌのはしけ船(ヴラマンク、1906年作)
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カフェ「Rat Mort」からの少女(ヴラマンク、1906年作)
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セーヌのシャトーからの眺め(ヴラマンク、1906年作)
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セーヌ川のタグボート(ヴラマンク、1906年作)
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赤い屋根の風景(ヴラマンク、1907年作)
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静物(ヴラマンク、1908年作)
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池の畔の街(ヴラマンク、1909年作)
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Les Andelys(ヴラマンク、1911年作)
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自画像(ヴラマンク、1911年作)
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セーヌ(ヴラマンク、1912年作)
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橋(ヴラマンク、1912年作)
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村(ヴラマンク、1912年作)
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橋(ヴラマンク、1913年作)
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ナポレオンの道(ヴラマンク、1914年作)
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林の道(ヴラマンク、1920年作)
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制作年が分からないのですが、気になった絵を紹介します。
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この絵はゴッホの影響を強く感じます。1910年以前の制作と思われます。
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この絵は、セザンヌとマティスを足して2で割ったような画風です。
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この絵はなぜかマティスの絵を思い起こさせます。
 モーリス・ド・ヴラマンクは初期においてゴッホの影響を感じますが、その後暗めの画面の風景画に独自性を感じさせるようになりました。

 アルベール・マルケ(1875~1947年)はフォーヴィスム派のフランス人画家です。マティスとともにフォーヴィスム派の創立メンバーですが、描いた作品は穏やかでグレーや青でパリや水辺の風景画が多い。水を描くのが上手く、「水の画家」と称されました。
 アルベール・マルケはボルドーで生まれ、1893年に(18歳で)パリ装飾美術学校に入学しました。その後エコール・デ・ボザールで、ギュスター・モローの指導を受けました。ここでマティスやルオーと知己を得ました。特にマテスとの親交が深かったようです。年代順に作品を紹介します。
サン・トロペッツの港(マルケ、1905年作)
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港(マルケ、1906年作)
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サン・ミッシェル橋(マルケ、1908年作)
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ナポリ湾(マルケ、1908年作)
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雨のパリ(マルケ、1910年作)
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コンフランの橋(マルケ、1911年作)
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波止場(マルケ、1911年作)
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赤い靴下(マルケ、1912年作)
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裸婦(マルケ、1912年作)
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川の風景(マルケ、1913年作)
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THE-PORT-OF-ALGIERS(マルケ、1921年作)
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雪の街(マルケ、1927年作)
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夜景(マルケ、1939年作)
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雲と煙(マルケ、1941年作)
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水面に映った景色を描くのが非常にうまい画家です。制作年や画題が分かりませんでしたが、素晴らしい絵を紹介します。

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上手いですネ。

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